時の次元へ


どの出来事も、新しい一日のようです。

未来の遥か彼方の闇の中で、それはまどろんでいるように思えます。

夜空の彗星のごとくにそれは現れるので、私達は感じることができるし、知っているというよりは信じることによって、その訪れを推測できるのです。ただそれがやって来るのを疑ったり願ったりする訳です。

に近づくにしたがい、それはますます形をあらわにします。

私達がそれを計画する場合、まずは純粋にイメージを描きます。イメージが色づいてくると突然、「今」という空間の、意識の地平線上にそれは現れ、われわれに知覚されるのです。

しかしその後、われわれの出来事はどこへ行ってしまうのでしょう?その痕跡は残るのでしょうか?

おそらく身の回りの何か新しい物体になったのかもしれませんが、いずれにせよ、この未来の子供が現在に立ち止まることはありません。私とか、最終的には他の人達が、それを知覚したからです。

今後は、私の記憶にそのイメージを残す一方、過去に向かって道をたどり始めるのです。

ひとつの出来事が記憶に残る数知れないイメージを生み出し、何千もの人体の中で生きているということもあるでしょう。

このユニークな出来事は、太陽の光の下に空間の中で起きたことです。
しかし再び、このような記憶の彼方にそれは消えて行きます。
今度は数えきれない人体の一部となって、新しい暗闇の中に生きます。

このようにして、私の生きた体の中にも、それは生きており、再び意識に昇らせようと試みる時にのみ、それは自我の新たな光を受け取ることができます。
「I re-member(思い出す)」とは、このイメージを私の「members(からだの構成要素)」、言い換えればlimbs(手足)からつかまえてくることです。
ここで言うmembers(からだの構成要素)とは肉体のことではなく、生命体の主要素です。

われわれの色の結びに戻るなら、これまでの考察を一つの動き、右側から左側へと生じる、いわば経過と変容の動きとして想像することができます。(続く)





トップページへ

a:1565 t:1 y:0

powered by HAIK 7.0.5
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. HAIK