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色と人間のバイオグラフィー


これまでは色の基本的な習性を観察しようとしてきました。
次のステップではその内的な振る舞いつまりは宇宙的な、あるいはアストラル的な性質を探ることができます。
色は人の魂の力として自らを表します。その力とは、生まれながらに備わり、人生の中で発達させてきた力のことです。

一番どこにでもある色なので最初に青を取り上げます。
その母性的な本質は容易に感じとれるでしょう。白と同じく、青も無私の色です。空の色である青は、地上生活における自由な空間を開き提供してくれます。母親の存在を忘れてしまう子供のように、私達はそこに青のあることを忘れがちです。なぜなら子供にとっての母親は、ただ自分の一部であるからです。青はわれわれを守るために未来を遮る、物質で出来た静かなカーテンです。

もし空が強烈な赤で覆われていると想像してみるなら、反対に挑発されているように感じるでしょう。そのような空の下では自由に働くことができず、むしろ一日中、頭上からの攻撃的なムードに圧倒されて、ある種の抑うつを感じることでしょう。

赤はもちろん身体の奥の世界にいっそう近い色です。
したがって受肉への意志を遂行する血液の流れとつながるイメージです。赤という色には自分達を通して現れた、またこれからも現れる(あるいは受肉する)かもしれない、あらゆる行為の可能性を感じます。

二つの色の流れの交差

青には精神のふるさとへの憧れ、本当の家への郷愁が生きています。赤には行為を通してさらに世界へ身をやつすことへの信念の力が生きています。

色の交差は、このような二つの時の流れが人生を構成し、相互に関連し合っていることを示しています。
ひとつは外側の黄色から出発し、赤−黒へと濃縮する流れです。
もうひとつは青紫として姿を表わし、青−白へと下る流れです。

両者は瞬間とか「今この時」と呼ぶことができる一点で交差しています。その一点では両者がある種のバランス状態にあります。
しかし理論的には決して調和に達しません。
中心軸に現れる受肉色の上方は、このバランスのイメージとして感じられるかもしれません。
誰でも健康状態をその時々の肌の色に表しています。

しかし瞬間というのはむしろ数量的な断片であり、時の単位のようなものです。
実際にわれわれの意識は未来へ向かって活動する赤の流れ、もしくはすでに起きた出来事を振り返って考える、青の流れに方向づけられています。ひとつの認識に完全に没頭することができれば、私達は今この瞬間の体験へと導かれます。そこでわれわれは「presence of mind(心がここにある)」と言う訳です。

どういうことかと言えば、今この瞬間に完全に目覚めることができるならば、つまり過去にも未来にもぶれずに現在にいることが可能ならば、時間を超越した霊が現れるということです。

そうすると観察した事物や状況と関わる、不変の概念が心に浮かんできます。概念が不変であるというのは、永遠の次元に存在しているという意味です。

交差を眺めると、「時が静止する」とはどういうことか感じることができます。触れることのできない現在は、二つの時の流れが中和し、完璧にバランスをとった、その一点にあたります。

色の結びの二つの軸

色の結びにおける垂直軸は、このように現在というミステリ―に関わっています。あらゆるものは私達の感情に依存した、霊の透明な像です。
私達が感情を透明(つまり純粋)にすることができれば、重たい外見の背後に隠れた霊にもっと近づけるようになるでしょう。

水平方向には年齢のパワーというものを学びます。
年齢に抱く私達の感情に二つの事柄が影響を与えています。

一つ目は、おそらく誕生前に貰い受けたエーテル的資産です。それは肉体といっそう緊密につながっており、成長し、温め、保存し、栄養を与えるなどの、身体的機能にはたらきかけます。

私達は加齢と共に、この「エーテル体(生命体)」という資産が少なくなり落ち込んでいくのを実感します。
年を取ると、ますます命の蓄えを失っていきます。肉体は独立するにしたがい、重さと破壊という自らの力を捨て去ります。そのような兆候あるいは象徴を、血液が重くなり暗い色になっていくという事実にも見ることができます。

もう一つは、われわれの意識に影響を与えているものです。それは時間で計ることを不可能にさせる感情の力です。
思い出す力、記憶と密接に関わります。
二歳までの子供はまだこの能力を発達させていないので、時間という枠の意識がありません。そのような子供にとって、一時間は何も意味しません。

魂の内側に焦点を合わせて前方に目をやると、様々な出来事の様子が休息している未来の暗い世界が目前に現れます。あいまいではあるけれど、私達はそこにまどろむ存在に気づきます。特別に予知能力を持たなくても理論として、何かがやって来ることを私達は知っています。

本当に何かが起きると、いつも何かしら驚かされることがあり、思考の光にスイッチが入ります。例えばそれは新しい挑戦、新しい出合い、事故だったりします。そういうことも想像できたかもしれないのですが、実際に起きてみると、違っていたということになります。そこで「思っていたこととは、いつも違うことが起きる」と言うことになります。

今やこのような出来事が現実になり、その痕跡はわれわれの周辺に残っています。すると時間という隔たりによって、それは段々と記念すべき出来事、記憶のイメージとなり、もっとはっきりとわかりやすいものになります。しかしわれわれの記憶はこのようなイメージを多かれすくなかれ違うもの変えていきます。距離を置くということは、その出来事がもたらした痛みの感情を、幾分とも忘れるということです。

思いでの流れに乗って、自己意識が芽生えたその日に向かって遡っていくと、自己意識という小さな舟はこの記憶の天国へと連れ戻してくます。

体験から学ぶ能力が加齢とともに成長すると、魂はますます自由でパワフルになり、思考の光をもっともっと見出すことができるようになります。このような段階を生きている存在は、諸能力が成長してくるのを実感できるでしょう!そしてこんなふうに言うことができます。年を重ねるごとに、私は若くなる!

ともあれ時については、常に複雑な気持ちが入り混じっています。思いでの宝庫を振り返る時、過去のイメージは弱く、再構築するのがどんどんむずかしくなります。長い時間を経たので、魂のスペースを再構築するには「長い」努力が必要になるのでしょう。反対に何かの目標を見出し、そこにはたらきかけるようになると、次から次へと新たな出来事が暗い未来から現れてくきます。この仕事にそのような出来事が含まれていたことを知らなかった私達は、たいてい目標達成のために見積もっていた時間を見誤ります。時間はいつも短かすぎるようです。それをストレスと呼びます!


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